凍結。過去のレポ置場。 

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東北関東沖大地震

(mixiに載せたものとほぼ同文+追記)


私は大島噴火カンケイから、地震慣れしすぎてた。
小学校の頃だったよ。噴火した大島から転校生(一時的避難)きたから覚えてる。
ほんとに毎日、震度3弱ほどの地震が小刻みに起こってて、テレビで「1日100回は地震起きてる」って聞いた。さすがに全部体感できるレベルではなかったと思うけど、とにかく本当によく揺れてた。
だから私は地震ぜんぜん怖くなくなってしまってて、震度4で「あーゆれる」くらいで、命の危険感じたことなかった。

でも今回のはグラついたとき、地震慣れの感覚のおかげか、なんか嫌な予感がした。スピリチュアルなもの私にはないけど、最初に揺れたときは昼寝(※夜のバイトにそなえてた、結局休んだ)から飛び起きた。
ふと壁沿い見たらテレビ乗っけてるラックがありえないくらい左右に揺れててビックリ!
あわてておさえた。おさえたっていうか、今おもうとアレ、私怖くてラックにすがってたんだわ…。

15年目にして、一人暮らし怖いって初めてかんじた。心細かったし、実家がまた地盤ゆるい斜面に建ってたから心配で心配で。
正直、絶対倒壊してると思ったよー!後から聞いたらそれほど揺れなかったみたいで、モノが落ちたりもしなかったみたい。
あの地盤、案外やりよる。

ちなみに、後から見たら私がすがってたラックの位置ずれてて、斜め前にせり出してた。あんなにガッチリおさえてたのに、ものすごい揺れだったみたい。地震慣れしてた私ですら「こんなの初めて」ってテンパったくらいだから、今のは震度5はあったんじゃないかって思ったけど、それ以上に揺れたのではなかろうか。
普通に立ってられなかったし。
実際市役所からの広報で、厚木市は震度5、地震による火災やブロック塀の倒壊があったらしい。

ウチは2階建ての2階なんだけど、昭和61年築のせいだろうねー。1階の一室は後から見たらベランダの窓がレールからズレてたって(自力で直せたそうな)
私の家の被害は後から判明したんだけど、ウォシュレットの管が外れかけ、水漏れ。トイレの床濡れてて焦った。
リフォームしてあるからあちこち地味にハイスペックではあるんだけども、水周りはやはり弱いようす。

ラックすがり時に話を戻す。

横揺れがけっこう長い間続いて、キャビネットの上に立てかけてたコルクボードが倒れ、その前にあった小物や観葉植物が次々落ちた。キッチンでも低いラックから色々落ちてたけど、クッションフロアのおかげで幸い何も割れずに済んだ。

ほんとに、この地震は尋常じゃないって思ったのに、揺れるラックをおさえるしかできなかった自分に唖然としている今(※当日のmixi日記なのでね)
ドア開けるとか、外に避難っていう基本ぜんぜん考えなかった。子供のころから避難・防災訓練何回もやってるのに、何にも身についてないじゃん。

でもひとつだけ、私が常に地震を意識してやっておいたことがある。
阪神大震災が起きたときのお話。
(これ書くの初めてだと思うけど、重複してたらゴメンなさい)

当時サッカーが好きで、お互い清水エスパルスが好きで、雑誌か何かをキッカケに兵庫の女の子と文通を始めた。
神奈川との遠距離だったけど、年が同じっていうので意気投合。
わりとコンスタントに10数通くらいやり取りしたけど、お互いの顔は知らなかった。いつか日本平で会いたいねーって書いた記憶はある。
遠くで大きな地震があったってニュースのあと、その子からの返事がこなくなった。彼女の住所は今でも覚えてる、西宮市。
文通が途中で途切れてしまうことなんか、まあよくあった。
忘れかけたころ、白い縦型の封筒・縦書きのオトナの字で、私宛に手紙が届いた。
その文通相手のお母さんからだった。震災で家を失い、親族の家に身を寄せているとのことで、住所はぜんぜんちがった。だから最初分からなかった。
手紙の冒頭はこんなふうだった。

「●●は先月の地震で亡くなりました。寝ていたところで、たんすの下敷きになり、即死でした。眠ったままの顔でした」

その子を友達と呼んでもいいのなら、友達を亡くしたのは初めてだった。
私はただうろたえた。バカみたいに呆然とした。悲しいとかいう人間らしい気持ちがわかず、それにも戸惑った。
彼女の荷物を整理していたら私からの手紙が多かったので、やり取りをしていたなら、少しでも遺品がほしいから届いたものを送ってくれませんか?という内容だった。
全部残していたので、大きな封筒に入れ、添える手紙の文面はすごく悩み、母といっしょに考えた。
実感がわかなくて悲しくなかったんだと後から判った。新聞を掘り返し、震災で亡くなった方の名簿から彼女の名前を発見して、初めて震えた。

何年かして、大人になった私は一人暮らしを始めた。
低い家具しか置かず、ベッドの周りには絶対に重たいものを置かなかった。
転居をし、家具の配置をするたびに彼女のことを思い出す。
文字の形とか、時々添えられてたイラストとか、遺族になってしまったおかあさんからの白い封筒を思い出す。

後日、近隣の市で亡くなった方がいるとニュースで見た。
本当に大規模で広範囲の災害だったんだと改めて把握した。北海道で通話不能、沖縄に津波警報。
私はこういう記事で「亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします」ってほとんど書いたことがない、はず。
なんか、見る分にはなにもおもわないんだけど、自分が書くと偽善のような気がして嫌だったんだよね。
お悔やみ書いてる自分は直後友達にアホメールを送り、あって当たり前と思ってた恵まれた環境でパソコンをいじり、化粧をし、たまたまだけど、被災地付近までライブに行ったこともあった。
本当に「ご冥福を祈る」ができる気がしなかったからだ。
今までは本当にそうだったから、あえて書かなかったと思う。

でも今回は初めて自分の命も等しく危険に晒され、遺族側に立ったり、家族を遺族にしてしまう可能性を痛切に感じた。
ベイブリッジの遊歩道が倒壊するかもしれないだとか、東京タワーの先端が曲がったとか、身内の安否を心底心配し、携帯も電話もつながらなくなり、県内にある友達の家は電気もガスも止まったと知った。
私の中ではあの阪神大震災ですら、それ以降もずっと、今まで起きてきたあらゆる震災が対岸の火事だったんだ。

今になって、亡くなった文通相手の無念を思う。遺族になってしまった母親の悲痛をかんじることができる。
あなたと私が好きだった選手は、今コメンテーターになってるよ。
ちょっとさえないけどね。現役時代からさえなかったけど(代表選手だったのにw)

「防災グッズ、いつか買わなきゃなーでもあれ1年もたないんだっけ、なんかもったいないからまあいいや、きっとうちは大丈夫」

言葉にしたことはなかったけど、いつ何が起こるか分からない。家にいたら自分の命を守れるのは自分しかいない今、できうる限りの最低限の準備をする義務があるし、家族との連絡手段を確保しておかなくちゃいけない。
被災当日は生理前もあって尚更うろたえたんだと思う。荷物作るとき、尋常じゃないくらいオロオロした。ナニ詰めていいのかわかんなくなって、リュックの半分も埋まらなかった。今はぱんぱん。

今日もしょっちゅうぐらぐら揺れてる。
津波や放射能漏れ、二次災害がまだまだ出ているし、大きな地震が起こる可能性はまだ40%ほど残ってるらしい。
どんなに精一杯生きて、色々な準備をして万全の体制をとっていても、残念なことに震災は不意にやってきて、思わぬことで命を落とすはめになる可能性は否めない。
日々一日一日を、今日が最後の日でよかったって思えるような生き方をしていきたい。これ死んじゃう前提だから一見ネガティブだけど(笑)すごく難しいポジティブな生きざまだとおもうのねー。どうだろう。
だから私が何かでポックリ死んだとき「天寿全うしたなw」っておもってほしい。


今回の震災で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
ご夫婦で亡くなった方、お仕事中に亡くなった方々、20歳にして亡くなった方、無念を感じる間もなかったかもしれない。
そして今、まだ命の危機に晒されている方々が一人でも多く助かりますように。行方不明の方々が多すぎて、ただ祈るしかできないでいる運よく生き残った私たちは、祈る以外のできる限りのことをすべきではなかろうか。
とりあえずみんなmixiのミクコレ変えたらよいとおもう(モバイル限定)
小さな心がけが大切、小さければ小さいほど見落としがち。



ここからブログのみの追記。
計画停電や食料買占めについて。

実施されるされないの情報に、確かに私も踊らされた。へんな時間に夕飯食べたからもう一回ごはん食べたくなってる現在(笑)
だけど別に東電だって悪気あってやられてるわけじゃないから、停電しなかったらしなかったでいいじゃないですか。福島の原発があんなことになっちゃって、関東なんて特に、これが春先でよかったって思えないんだろうか。
東電の人だってまだ不安でホントは家族といたいだろうに、時間外業務に追われまくってることでしょうよ。電気代払ってんだから電力きて当たり前ーみたいなのが当たり前じゃなくなっちゃう事態なんだから、仕方ない。
天災に関しては誰が悪いわけでもない。しかも過去最大、誰も知らない、まさに未曾有の震災。おえらいさんだってあらゆる道のプロだって、精一杯尽力しても物事すんなりいかないことだらけ。
なにもかもが仕方ない。そりゃ仕方ないですませられないけど、これ教訓になるんだから無駄じゃない。

仕事がどうこう、寒さがどうこう、福祉系従事者とか例外はあるけど、命よりだいじですかそれ。いまだに救助の手が届かない人たちは電気どころか屋根もなかったりする。命からがら生きてる。
ニュースで見た。肥えたおばちゃんがもう人間の本能むき出しでスーパーに殺到。こわい。
おちつけ。その体なら一週間くらい食べなくても大丈夫だ(・∀・)
私は震災の前日に買出ししてたので、お米が2キロ、野菜がちょっと、肉がちょっと、パスタが5食分くらいある。お弁当用の冷食もあったはず。
一人暮らしと大所帯(かどうかは知らないけど)では違うって分かってるし、自分や自分の家族を最優先したい気持ちは誰しもあるけど、とにかくおちつけ。
生まれる前のだとは思うけど、オイルショックでトイぺに殺到する映像思い出したよ。
被災地に物資を回すことを最優先というスーパーは、買占め規制をすべき。スーパーのひとを怒鳴りつけるひと、冷静な誰かに怒られたらいい。

あと、電車遅延とかでいちいち殺伐としない。運転手さんたちにも家族がいて生活がある。
屋根の下で着膨れしてパソコンいじってぬくぬく生きてる私も、徹夜で線路を点検したおっちゃんたちも、瓦礫の下に埋もれてる子供も、テンパって買占めに走るファットなおばちゃんも、人間という点ではみんな等しい。

明日、被災地は雪が降るかもしれないそうです。
私は洗濯機やウォシュレット、テレビなど、普段使わない家電はプラグ抜いてる。みんながそうしてたおかげで計画停電行われなかった地域(うちとか)があったはず。
誰かのためと思うのがイヤだったら夏の自分のためと思って節電すればいいよ。去年みたいな猛暑のなか計画停電やられたらガチで死ぬでしょー。

私が住む神奈川では三人亡くなった。私や私の家族は生かされた、と感じた。だったら生かされた人たちは自分の命の重みぶんは何か返していかねばならない…って、私は思った。
別にみんながそう思う必要はないよ、私が思っただけ。だってほんとにアパート倒壊すると思ったし、実家も屋根くらい絶対落ちてると思ったからさー。
それなのにライフライン全部確保できてて、今日は計画停電も実施されなかった。ものの3時間、ライター2本で過ごすつもりだったwさすがに懐中電灯買えるなら買うけどもww

なに、この恵まれた環境。
そしてカゼもひいてない(ここ大事)

嫌々やってるバイトのおかげで余剰金も発生。私や、私の家族が被災して家もなくして着るものもないってなったとき、きっと誰かが手を差し伸べてくれる。日本の人も、ヨン様も(名指し)
今は私がその手を差し出す当番。
人と人、命と命はそうやってつながってくんだなーだといいなーって思いながら、今月はバイト日数増やして寄付金捻出していこうと思います。フリーターなめんなよ震災wwww

ちなみに今はバイトしつつ、県の基金訓練に受かって、記念すべき(笑)3月9日から毎日町田まで通学してます。県から若干生活費おりてくるやつ。
そんな底辺の私でもやれることはある、やる。
ぐるぐる考えたら結局は私自身のためになるって思うし、東北はライブで数回行ったけど、魚はおいしいし、みんな素朴でいいひとばっかだったから、小さいことでも何かしたい。
これを偽善って言われたら、私はやらない善よりやる偽善だって答える(キリッ


まあハガレンのパクリですけどねwwwww


そんなわけで私は元気ですっていう報告とかうだうだ書きました。
以上(・∀・)ノシ
 
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